ジローと さよならするために、おくるために、本文を綴ってもらいました。
これは豆福の思い出であり記念碑であり弔辞でもあるのです。
次郎(Himedaruma White spears Jiroh)へ
虹の橋はどんなところですか。
住み心地はいいですか。
ご飯はいっぱいもらえますか。
糖尿病になって、ご飯を制限されてつらかったね。
こんなに突然、私の前から消えてしまうなんて思いもしなかったよ。
流れるお水が飲みたくてお風呂の水道の蛇口にスリスリしていつの間にか自分で出すことを覚えた君、夜じゅうチョロチョロ水が出たままなんてこともありました。
今はどこで水を飲んでいるのかな。
くれぐれも川のそばまで行って、落っこちたりしないようにね。
そこにはブーパパもブッチ兄もいるのでしょう。昔みたいにうんと甘えて暮らせるね。
三本だった足は四本に戻りましたか。いっぱい走り回って楽しく暮らしてね。
いつか私が会いに行くまで待っててね。
Himedaruma White spears Jiroh、久しぶりに君の本名を書きました。
ショーキャットとしてエントリーシートに書いていたのはもう何年も前のことです。
君はショーに出るのが大嫌いでした。
(キャットショーの審査風景)
でも、そんな君を連れて東京や大阪、さらにはアメリカのサンフランシスコで開催されたショーにまで連れて行きました。
素敵な君を自慢したかったからです。
協力的でない君はなかなかグランドのタイトルが取れなかったのを思い出します。
ショー会場では、「この会場で一番大きい(重い、審査しにくい)猫」、とジャッジに言われたこともありました。
優しく大きいメインクーンそのままの猫でした。
君が生まれたのは2005年1月7日、7人兄弟でした。
7日生まれの七福神、「毘沙門天」の幼名をもらいました。
生まれて一ヵ月半ころ初めて会ったとき、君の両耳の先だけが白かったのでこの子がいいと、うちの子にするのを決めました。
それでつけたのが正式名称。
Himedaruma White spears Jiroh、白いとんがり矢のジローでした。
生後4か月で茨城県の生家からMichieママに連れられて北海道までやってきて、でっかいブッチ兄に可愛がられてのびのびと大きくなりました。
時々玄関の風除室の引き戸を開けて庭の散歩なんて危ないこともやっていました。
でもそれ以上先には出ていかないとってもいい子でした。
(玄関前を散歩中!)
5年前大好きだったブッチ兄が糖尿病の悪化で亡くなって、入院していた病院から連れ帰ったとき、君はじっとブッチ兄のそばから離れなかったのを思い出します。
その後ひと月以上最小限の食事しかせず、寝てばかりでうつ状態のようになっていました。そのころに高いところから落ちて左足の膝関節と尾の付け根を痛め、歩けなくなったこともありました。
それ以来高いところには登れなくなったけれど、そんなに不自由でなく暮らしていました。
ブッチ兄亡き後、家族になったアーチ弟をかわいがり、時には厳しく躾けてくれました。
(おんなじハンモックでギュギュッと)
2016年4月糖尿病が判明、ちょうど同時期に左足の膝上に小さなしこりが見つかりました。レントゲン検査の結果、軟骨肉腫らしいとのことで、治療の方法は断脚しかない、その時は大腿骨からとるとのことで獣医ともども悩みましたが、しばらくはそのまま暮らさせようと決めました。
毎日のインシュリンの注射で糖尿病も落ち着き、穏やかに1年半がたった2017年10月初め、直径5センチほどに大きくなった肉腫のひどい痛みが出ました。
穏やかな君がギラギラと光る眼で私をにらみ、聞いたこともないようなうなり声をあげてうずくまりました。
すぐに獣医のもとへ行き、相談しました。
この時のレントゲン写真では大腿骨上部は傷んでいないとのこと、そして君の全身状態が良好であることから断脚を再度勧められました。
痛み止めでは対応できなくなることは目に見えていました。
その日のうちに手術、左足は付け根から切断されました。
最初はおしっこもうんちもおしりを砂につけて、不自由そうにしていましたが、上手にお尻をあげられるようになりました。さすがにうんちはイキまなければならないので介助が必要でしたが何とか5か月間暮らしていました。
上手にぴょんぴょんと跳ねるように歩き回って、お父さんの書斎椅子の後ろで座り込み大好きな缶詰ご飯の催促をするのが日課でした。最近はたまにおかしな咳をしたり、頻繁におしっこに行ったりすることもあったのですが大きな問題ではないとおもっていました。
あの日、3月13日午後7時頃、君がうんちをしているとのお父さんの声でお風呂場の前のトイレに行き、左のお尻を浮かせました。いつもは一日に一回のうんちが2時間ほど前に終わったばかりでしたので、予想はあったのですがひどい下痢でした。
汚れたお尻を拭き、うんちを始末してふと見ると、お風呂場に横たわったままの君がいました。おかしい、と抱き上げましたが、すでに息をしていなかったのです。
ゆすぶってみても、反応は何もなくそのままでした。
「お願い息をして」と叫んでみても駄目でした。どうしてあげれば良かったのか、うんちなんかほっておいて君を見ていれば良かったのか、何もできなかった自分を責めるばかりです。
ごめんね、苦しい君を助けてあげられなくて、赦してね。13年間いつもそばにいてくれてありがとう。楽しい日々をありがとう。でかくて、きれいで、可愛くて優しい次郎が大好きでした。
ps.
またしても、つらい話でスミマセン。
豆福は書いては涙、そして、ため息でしたが、何とか綴り終えました。
気持ちが穏やかになる日を待つばかりです。
生家のMichieママからお花が届きました。
虹の橋の花園から摘んできてくれたに違いありません。
豆福のおくることばとMichieママのお花を見ながら、海援隊を思い出していました。
詩が生まれたシーンは違うのですが、お別れはつらい。
♪暮れなずむ町の光と影の中
去りゆくあなたへ贈る言葉
悲しみこらえてほほえむよりも
涙かれるまで泣くほうがいい
人は悲しみが多いほど
人には優しくできるのだから
さよならだけではさびしすぎるから
愛するあなたへ贈る言葉
・・・・・・・・・・・・
遠ざかる影が人混みに消えた
もうとどかない贈る言葉
もうとどかない贈る言葉
贈ることば
https://www.youtube.com/watch?v=pEql1uv7osU